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ごはんを食べよう国民運動推進協議会主催

「米文化が育む日本の社会」

とき 平成26年9月2日
ところ 都道府県会館402会議室(東京都千代田区平河町)
講演T「米文化が育む日本の社会」

永島 敏行 氏(俳優、青空市場代表)

永島 敏行 氏
俳優、青空市場代表

1956年千葉県生まれ。俳優として映画、テレビ、舞台で活躍し、数々の賞を受賞。1993年に秋田県十文字町で米作りを体験し、以来都会の人達が「自給自足」を学ぶ為の米作り体験、農業体験教室を始める。また、生産者と消費者の交流の場として「青空市場」を2004年から都心で開催し、2005年に有限会社青空市場を設立。東京国際フォーラムにおいて定期開催をおこなっていた。現在は東京駅行幸地下通路で開催している。その他、全国各地で農業に関する講演やシンポジウムを行う。
「青空市場」の活動はホームページへ。
http;//www.aozora-ichiba.co.jp

 みなさんこんにちは。俳優をしております永島敏行です。
本日は、これまでの経験を踏まえたお米のことについて、お話をさせてもらいます。

【舞台・映画撮影におけるごはん】
先月まで舞台をやっていたのですが、舞台の稽古は、かなり長い時間かかります。 休み時間はありません。例えば12時から始まって、ぶっ通しで18時、19時まで舞台の稽古やっています。その間の自分の出番がない時にご飯を食べます。だいたいみんな必ずおにぎりです。こんなに便利なファーストフードは、ないです。非常に食べやすいし、エネルギーにもなる。おにぎりの中に入れる具を変えたり、五穀米にしたり、玄米にしたりすることで、結構栄養のバランスもとれる。そこに果物を持っていけばさらにバランスが良くなる。新劇、歌舞伎などでの一番の人気ごはんは、「おにぎり」です。理由は、あっというまに食べられるから。お弁当箱を開いて、食べている時間はない。皆さんの稽古を見ながら、隅の方で、おにぎりを食べる。これが、芝居をやっていくうえでの定番。だいたいお昼ごはんは、おにぎりになります。
映画の撮影もごはんがなかったら、怒りますね。最近は映画の機材が良くなったんですが、昔は映画の機材っていうのは、ものすごく重い。特に照明の機材が、一つ50kg、100kgする。一番体力を使うのは、映画の照明。照明というのは、一番時間がかかるんです。美術ができあがったところに照明を作る。昔から、照明具さんが一番体力を使う。照明具さんに対して、食事が悪いとお弁当を用意するごはんを用意する制作部が怒られる。すると、現場の雰囲気が悪くなるんですね。照明部の体力にみあう弁当を出さない限り、現場の雰囲気が悪いまま。いずれの仕事もそうかもしれないけれど、最後に何が楽しみかとなると、やっぱり人間、食べることが楽しみになってくる。仕事はきついけれど。ぼくらの仕事は、正直言って、楽しいです。こんなばかみたいな仕事をしていていいのかなと、この間は、春猿さん、月乃助さんらとともに狐狸狐狸話。狐と狸の化かし合い、僕は江戸時代の間男。間男っていうのは、旦那のいる奥さんを寝取るわけですね。寝取る役なんです。生臭坊主が寝取るんですが、旦那が女房を懲らしめようとして、自分が死んだふりをするんですね。女房が毒殺しようと思って、旦那に仕掛ける。旦那は、毒殺されたふりをして、幽霊になって、女房と間男に仕返しをしていくという、ばかばかしい話なんですね。ばかばかしい話を一生懸命やらなければいけないのが、僕らの仕事なんですね。そうすると、体力を使う。仕事をするうえで、「食」っていう時間がものすごく大事になってくる。現場で米がでないということはほとんどないですね。パンは、つなぎ。例えば、定時に終わることはほとんどないんですが、午後5時に終わらなくて、8時までに伸びてしまった場合は、ちょっとつまめるパンやなんかが出たりしますが、だいたい朝昼晩、ごはんがでないことはない。それぐらい、僕らの芸能界の現場では、ごはんの消費量は相当多いと思うんですね。

【秋田での米づくり】
なぜ、役者の僕が、米づくりをしているか。23年、米づくりをしているんですよ。作るって言ってもまねごとですけども、23年やっている。その米づくりがきっかけで「青空市場」をやっているんですね。東京丸の内で、生産者を呼んで、生産者と消費者と交流して、農産物、海産物を販売していきたいと思って、販売支援のマルシェを10年やっております。今は、東京駅のすぐそば。丸の内口から出てすぐの丸ビルと新丸ビルの間の行幸地下通りというところで、10月から毎週金曜日に開催しておりますが、この話は後でさせていただきます。

まずは、なんでお米を作ろうかと思ったのかと言うことから話をさせてもらいます。まず、一つはイギリスにボイストレーニングに行っていたことがきっかけです。役者は、しゃべった声がきちんとお客さんに届かないといけない。ただでかい声だけではだめなんです。僕は野球部だったんで、でかい声だけは出たんですよ。野球部ではだいたいわけもなく叫びますから。練習中訳もなく叫んでいると、よく練習しているように見られるんで。声だけ出していたんです。ただ、それだけでは、お客さんになかなか声が届かない。そこで、イギリスにボイストレーニングに行ったんです。ただ、イギリス人は議論好きなので、毎週末、色んな議論になるんですね。僕は本名も永島敏行になるんですが、「敏行、日本人とはどういう者なんだ」とか聞かれるんです。30才ちょっとだったんですが、「日本人ってなんなんだ」って言われても、自分の今までやってきた生い立ちやなんかはしゃべれるんですが、「日本人とは」ということは難しい。僕は、勉強が大嫌いなんですよ。勉強を全然してこなかったんですね。旅館だったんで、親の教育方針が、「体に悪いから、勉強するな」だったんですね。旅館だったら、ご飯が炊けて、薪が割れて、昔だったから、そろばんがはじけて、洗濯ができて、接客ができれば、良かったんです。余計な教育は必要ないということで、僕は、子どもの頃から親に「勉強するな。受験勉強していると体に悪いからやめろ」と言われていた。それを忠実に守ってきたんです。そういうことで、歴史の勉強がきらいだったんですね。受験勉強って、何年に何があったとか、数字ばかりを覚えないといけない。おかげで、日本の歴史なんてほとんど興味がなかったので、日本人って何なのかと言うのは、全然答えられなかった。だから、イギリスに行った時に恥をかきました。役者になって、時代劇をやるようになって「あそうか。こういうことがあったのか」と台本に教えられることがいっぱいありました。ただ、日本に帰ってきてから、今さら歴史を勉強する訳にはいかないなと思い、それでは、何ができるかと考えたところ、「そうだ、米だ」と思ったんですね。毎日食べている米は、何千年と日本人が食べ続けてきて、今まで続いているもの。よく考えたら、旅館でも毎日米を炊いていたけど、米については、ほとんど知らなかった。近くには、農家やなんかがいっぱんあったんですが、米ってどういうものかは全然分からなかったんですね。それが一つだったんです。

それともう一つ。娘が生まれまして、東京で子育てを始めました。僕は、今57歳になるんですが、千葉で育ったところは、海は遠浅の海。6qほど引き潮になる時があり、そうすると、労せずして足であさりやはまぐりが、簡単にとれてしまう。竹筒を転がしておくと、竹筒の中に芝エビが、労せずしてとれてしまう。すばらしい東京湾という海がありました。子どもの時代は、多分、地産地消でごはんを食べていたんですね。ただ、そのごはんということを本当はよく知らなかった。

そこで、秋田の友達に米づくりを教えてくれないかと頼んだんです。何で、秋田かというと、野球部の友達が秋田で農業をやっていたからです。芸は身をたすくで、僕の人生野球に大分助けられたんです。芸能界にデビューしたのも野球だし、農業始めるようになったのも野球部の友達がきっかけ。その秋田の友達に、米ってどうやってできるのか教えてくれないかって聞いたんですね。娘の子育てをしようと思ったら、僕が住んでいた東京では、泥遊びができないんですよ。今は、わんぱく公園みたいなのができて、木登りとか、泥遊びができるようになったところもあるんですが、自分が子どもを持った時には、してはいけないことだらけだったんですね。木に登っちゃいけない。花を取っちゃいけない。穴を掘っちゃいけない。泥遊びをしちゃいけない。東京の公園は、しちゃいけないことだらけ。どうやって、子供を育てたらいいんだろうって。自分が育ってきたところと同じ育て方はできないなと思ったんです。親って言うのはですね、子どもが生まれた瞬間に親ですからね。最近は、みんな、親って言うものがあると思っているかもしれないけれど、子どもが生まれた瞬間に親になるんですよね。20何年前、マニュアル本もいっぱい出ていましたが、「塾に通わすなど」と書かれてあったので、これはダメだと思いました。僕は幼稚園も保育園も行かせてもらえなかったもので、右、左がよく分かりませんでした。右左が確実に分かるようになったのは、車の免許をとって、ウインカーを出すようになってからです。自分が親になって、多分このマニュアル本どおりには、子どもは育てられないなと思ったんですよ。教師もしくは反面教師のどちらにしても、自分の親が参考になる。自分がどのように育ってきたか。それと、自分がその土地にどうやって育てられてきたかというのが、やはり、とても参考になるんじゃないかなと思ったんですね。でも、当時の東京では娘を泥だらけにして遊ばせることができない。だから、妻と話をして、せめて年に何回か思いっきり、泥遊びをさせたいなということで、秋田の友達の農家のところに泥遊びをやらせてくれないかと頼んだんです。そうすると、「ふざんけんな」と言われました。当たり前ですよね。「俺たちはプロで、おまえの子どもに泥遊びさせるために米をつくっているわけではないんだから、そんなこと出来るわけない」と言われたんです。でも、「頼むから教えてくれないか」と言ったところ、「本気でやるんなら教えてやる」って言われて。「本気ってどういうこと」って言ったら、「今は機械化になっているが、全部手でやるぞ」って言って、「分かった。体力があるからやる」って言って、23年前に始めたんですね。

実際、初めてすぐは、後悔しました。手植えでやるってことは、手作業でやるってことは、なんてきついんだと。10分して、もうやめたくなりました。田植えをして。秋田やなんかだと、円筒形のこういう木で組んだ、型っていうのを転がしていくと、田んぼの中に田の字ができていくんですね。この交差したところに植えていくんですね。ものすごい効率的だなっと思ったんですが、うちの娘が隣で田植えをしていて、3歳です。2分ぐらいしたら、すぐ飽きます。後は泥遊び。バチャバチャバチャ〜って、田んぼの中を走っていて、田植えをしようと思ったら、泥だらけ。バッテンが全然見えなくなって、どこに植えたらいいのか分からない。そんな経験をしながら、初めての田植えをやりました。

周りの農家の人は、全然助けてくれず、畦の道から見ているだけ。僕らが失敗して蛇行して植えると、「秋になれば結果が分かるよ」と言われました。苗は3本から5本植えると言われて植えていくんですが、なかなか進まない。苗もなくならない。終わんない。向こうの端まで行けばいいんだけれど、終わらない。だんだんいらいらして、10本ぐらい植えちゃうんですね。そうするとまた農家の人が「秋になれば結果がわかるよ」と。とにかく、どうにか植え終わったんですけれど、まぁ、最初は言わなきゃ良かったと思った。23年前は、みんなに行こうと言っても、「東京は、こんなに食があふれているのに、何でわざわざ高い旅費を使って秋田まで、米をつくりに行かなきゃいけないんだ。米なんていくらでも選択権があるじゃないか」って言われてね。ま、そりゃそうだなと思いましたが。俺は米のことを学びたい。泥遊びをさせたいって思いがあったから行ったけど、他の人はあんまり意味がないなぁと思って、しょうがないなと思ったんですね。

さて秋になり、結果が分かりました。昔の人はすごいですよね。効率的にきちんと植えれば、次の仕事がどうなるか分かっている。まっすぐ植えればまっすぐ進める。蛇行して植えれば、左右に振られるんですね。当たり前ですよね。「誰だこんなの植えたの」って言っても、天に向かってつばを吐くようなもんです。10株ぐらい植えたところは、1回で切れないんですよね。力がいる。全部僕に向かってくるんです。でも、刈り終わって、天日干しのお米を初めて食べたとき、「なんてうまいんだ。こんなうまいものはこの世にない」と思った。自分で作った満足感。それと、色んな雰囲気があって、みんなで力を併せて作ったということが、非常に良かった。それで僕、思ったんです。そう、人間は、食べ物を作るとか、猟をするとか、木の実を取ってくるとかなどを満たせないといけないDNAがあるんじゃないかと思う。すごい満足感が自分の中にあったんです。今は大人数でやっているので、自分の家族には割り当てられる米は30kgしかないんですが、自分が、米を、食べ物をつくったという、安心感というのは、すごくあるんですね。もしかしたら、人間は、動物だっていうことをみんな忘れているんじゃないかと思うんです。動物は、ペットは違うけれど、動物は、自分で食べ物を取ってきて、子育てをして、生きていくというのが、当然のことだと思うんですね。社会が発達してきて、流通や経済が発達してきて、分業になっていったけれども、人間という動物の中には、自分が食べ物を得て生きていくDNAが必ずあるんじゃないかと思うんですね。ただ、100%の人じゃないと思いますよ。それはそうです。違う形の生き方もあると思うので。昔から王様だった人は、絶対作らないかもしれないから。ただ、何かを食べ物を作るというDNAというのは、非常に多くの人にあるんじゃないかなと思うんです。このDNAを生かすことが、物が売れていくことになるんじゃないかと僕は思うんです。

なぜかって言ったら、10月の最初の金土日にまた秋田に稲刈りに行くのですけれど、23年間ずっと通い続けているんですね。高い米ですよ。1回の旅費がだいたい安くて3万5千円。2回行けば、7万円ですから。7万円で30kgじゃ到底割に合わないと思うけれど、僕1人で行くんではなく、バス仕立てて行くんです。今、人が増えてきているんです。
行程を言いますと、金曜日の夜6時ぐらいに、新宿西口に集まって、大型トラックの免許を持っている方にマイクロバスを借りてもらって、秋田まで向かいます。だいたい夜中の1時か2時に到着して、仮眠します。朝6時にたたき起こされて、温泉に入れられます。それから、温泉に入って、地元のお母さん達が作ってくれる、僕は日本一美味しい朝食だと思うんですけれど、朝食をいただきます。秋田は贅沢ですよ。朝食。千葉の場合、あじの干物、のり、おしんこ、味噌汁、ごはん。ま、卵がつくかつかないか。秋田はこれに必ず筋子がつきます。卵も食って、筋子も食ったら、コレステロール取り過ぎじゃないかと思いますが、必ず筋子がつきます。筋子がついて、山菜、きのことかがつきます。さらに、もう1品主菜か何かつきます。すごいんですよ。初めて行ったときに、「こんなに朝からごちそういりません」って言ったら、「違う。悪いけどこれ毎日食っているもんだ」って。そうなんですが、非常に豪華。非常に豊かなんですね、食文化が。地方の人は東京が豊か、豊って言うけれど、そんなことはない。食に関したら、豊かさは、東京なんかの比ではない。
朝食をとって、田植え、稲刈りに行く。今は、うまくなったんで、1反を2、30人でやって、お昼前に終わっちゃいますね。ほとんどプロに近くなりましたから。で、杭がけもする。杭がけをやって、終わって、田んぼの近くでバーベキュー。さらに、終わって、温泉に入って、宴会。次の日は、いろんな体験をして、昼過ぎに秋田を発って、戻ってくる。で、3万5千円。安いって言ったら、安いんですよ。高いっちゃ高いかもしれませんが。そうやってずっと、交流をしてくると、お米だけでなく、そこの農産物も買い続けるんですね。お歳暮は、リンゴ農家の伊藤農園のリンゴ。頼んでおくと、永島って黒いシールをつけて、そこが紅くならないんで、リンゴ1個に永島っていう名前がつく。さらに寿もついて。それを、お歳暮やら何やらにする。何が言いたいかというと、お米やなんか農産物を売るのに、今までは、大量出荷、大量流通、大量販売、これは今後も必要だと思うんですが、これから、どのような縁故を持つかって言うのが大事なんじゃないかと。実際、僕らと同じようにやってらっしゃる方がいっぱいいると思うんですけれど、農家側と消費者側とどうやって繋がっていくか、これが日本の農業を変えていくんではないかと思うんですね。

【新たな流通をめざして〜青空市場〜】
先ほど話をしていたマルシェ(青空市場)をやっていてつくづく思うんですけれど、日本の農業を変えるのは、農家だけでは絶対無理です。断言します。消費者が、どう興味を持つかによって、日本の農業・漁業は変わるんではないかというのが僕の持論です。
先ほど言った、リンゴ農家の人たちが、気づきだしたんですね。(農協の人がいたらごめんなさいですが)農協に出荷することも大切ですけれど、自分達で販売先を見つけて、そこに販売をしていく。ここで鋭気を振るうことができる。また、農協と組んで、ジュースやなんかに加工していくこともできる。だから、今まで、全て農協だったという物が、生産者側がだんだんだんだん気づきだして、農協にも販売、加工をしてもらうけれど、自分たちでの販売ルートも作る。農家側が、これから求められることは、生産だけでなく「経営」ということが、必要になってくるんだと思うんですね。

「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」の事務局は、兵庫県ですね。今、高田屋嘉兵衛の本を読んでいますが、高田屋嘉兵衛江も兵庫県淡路島出身で、兵庫と言う所に出て、廻船問屋という商いをやる。読んでいて、すごく面白いなと思うのが、新しい流通を作ったこと。もしかしたら、今の時代にも新しい流通が、できるんじゃないかなと思うんですね。大量販売、大量流通ではない、細かいネットワークの販売というのが、これから必要になっていくのではないなかと思う。当然ね、そんなことやらなくても、ネットでやっているじゃないかという声もあります。しかし、ネットから、いい物見つけ出すのは難しいと思います。カニで検索したら、カニカニカニカニ・・・と、この中からどうやって選べば良いかというぐらいカニばかりでてくると思うんですね。それはやはり、どうやって、消費者の人が、生産者と繋がっていくか。それもただ物を売り買いするだけでなく、文化の共有ですよね。農業の文化。農地の文化。産地の文化。その文化をどうやって、共有していくか。都会に住んでいる僕たちに何ができるか。正直言って、昔に比べたらほとんど毎日がハレの世界。天気の話ではないですよ。ハレとケの世界だと、ハレの世界に住んでいるようなもんです。毎日、大変なごちそうを食べているようなもんですよ。ハレの世界に住むのが都会の生活になってきている。で、こないだ芝居をしたんですが、農家の人がお客さんとして来てくれるのですが、自分たちは、毎日泥まみれになって働いて、都会に来るのは、ケの世界からハレの世界に来るようなもん。ハレの世界を演出してくれると、また仕事をする気が沸いてくる。特に、女性は。芸能という僕らの仕事は、ハレの世界を演出しなければならない。のんべんだらりんと毎日がハレという世界ではなく。都会側が、ハレの世界を演出していくということが大事なんかなと思っています。

僕は、これまで農家と繋がってきて、もっともっと農業のことを知ってもらおうと思って、今、マルシェと呼ばれるものを始めた。僕の役者という仕事は、物を伝えることだと思うんですね。ただ、映画とか、テレビに出て、「すごかったとか、面白かったとか、あいつ馬鹿だとか、良かったとか」、そういうことだけでなく、伝わらないことを伝えることが、本当は僕らの仕事だと思うんです。昔の旅芸人の人は、結構、関所を抜けられた。それは、旅芸人は芝居をしながら、その地の情報「あそこの物産は、こういう物が売れていましたよ、こういう新しい農産物ができましたよ、こういう物が流行っていましたよ」を掴んで次のところに行く。旅芸人は、情報を持っているから大名とかに非常に重宝された。今でも芸能界っていうのは、誰かがスィーツを食べに行けば、その店が売れるって事があるけれど、それだけじゃなく、どうやって情報を伝えていくか、伝わらない物をどうやって伝えていくかというのが、僕らの仕事じゃないかなと思って、10年前に市場を始めたんです。

なんで市場を始めたかって言うと、体験型農業じゃなかなか広がりがないんですよ。1回に多くても100人ぐらいの人にしか伝えられない。だったら、東京のど真ん中でということで、最初にやったのは、新宿、築地の歌舞伎座のまん前でやったんですね。道路を隔てた前のビルでやったんです。それが10何年前だったんですね。どういう催しかというと、知らない同士が、顔を合わせて、ただ物を売り買いするだけでなく、しゃべることで、色々理解ができていく。繋がっていく。昔だったら、必要なかったと思うんですね。商店街があったら、八百屋があって、魚屋があって、豆腐屋があって、肉屋があって、米屋があって。多分、生産者の代理人が売ってくれる時代だったら、マルシェなんか絶対必要なかったと思うんですよ。でも、それがなくなってしまって、食糧がただの物というか、見た目物になってしまって流通されているので、生産者の思いとか、旬であるとか、そういう物が伝わらなくなった時代になってきて、マルシェっていうのが、成り立つようになったのかなと思うんですね。

マルシェを10年やってきたんですが、最初は色々文句も言われました。端境期なんか言うたら、夏やなんかに大根がない。今、全国にいけば、ストアーやなんかに大根は置かれますが、マルシェに来ている生産者の人達だと、端境期に大根はない。僕も売り子をやるんですが、買いに来ている奥さんに「永島君、なんで大根がないの。あそこのストアーにいけば大根があるのに、どうしてここにないの」って。「すみません。大根の産地じゃない人が来ているんです。それ以上に端境期なんですよね。作ってない時ですよ。」というようなやりとりや、「葉物が少ないわね」って言われて、「すみません。夏なんで葉物があまり美味しくない時期なんですよ」というようなやりとりがある。皆さんも感じているかもしれませんが、都会の人は、そういうことが分からなくなってきているんですね。これを聞いた時に、めちゃくちゃチャンスだと思ったんですよ。これを伝えることができたら、この人達は、生産者のファンになってくれるんじゃないかなと。これまで色んなクレームがつきました。一番困ったのが、ブラウンマッシュルーム。ブラウンマッシュルームは中の傘の部分も黒いんですよね。知らない人から「腐っているわよ」とクレームがついて、うちの人間が謝りに行ったことがある。ただ、腐っているのではなく黒いものだということを知ってもらってからは、このクレームをつけた人は、その後ずっと買いに来てくれるんですよね。

【これからのお米・ごはんについて】
これから行政とか農協とかと組みながら、どういう形で生産者と消費者を繋げていくことができるか。
僕は自分で田んぼや畑をやってきて、子どもを連れて行って思うのは、こんなアミューズメントパーク、農地のことをアミューズメントパークと言っちゃいけないのかもしれないけれど、農地ほど楽しいアミューズメントパークはない。農地とか、海、川、自然とか。自分で田んぼ、畑やってきて、つくづく思います。なぜかというと、子どもやなんか連れて、畑に行ったり、田んぼに行くと、全員で面倒みないといけないなっていう気持ちになるんですよね。自分の子どもだけ良ければいいという気持ちにはならないんですよね。ここの田んぼで働いている人間は、子ども大人も一緒。もしかしたら、昔だったら、等分に分けないといけない。できあがった物を等分に分けないといけないのかもしれないけれど、ま、そういう気持ちになるし、怒れるんですよね。例えば、種をまいたところを子どもが足でふむと、「ばかやろう。おまえ今、種をまいてね、おまえ達の食べ物をつくるんだぞ」と。農地やなんかっていうのは、きちんと子どもに、怒れる。訳をきちんと言って、怒ることができる。すると子どもにとったら、楽しいですよ。虫はいっぱいいるし、もうかけずり回って遊べるし、大人の目がやっぱりみんな光っているから、きちんと子どもやなんかを見とく。で、協同で作業やなんかをしていく。そういう意味では、生きることを遊びながら、自分たち、みなさんのほとんどがそうだったかと思うんですが、農地や山や海や川があったところで、生きることを教わってきたんじゃないかと思うんですね。

最近、ものすごく大事だなと思うのは、人間が、人間だけで生きているのではないということ。人間は、生かされているんだ。土がなければ、水がなければ、太陽がなければ、風がなければ、農作物は育たない。それより何より、微生物がいなかったら、俺たちは生きていけない。なんか今すっごく嫌な感じじがするのは、人間だけが、すばらしいとか、日本人だけがすばらしいとか。日本人だって微生物がいなければ、生きていけないのに。極端かもしれないけれど、そういうことを、農地やなんかから教わるんですね。
豊かな土って言うのは、善玉菌も悪玉菌も色々あって、そのバランスがあってこそ、豊かな土になる。農家の人が言うんですね。健康な土と人間の健康な腸はよく似ているって。いろんな菌がいて、バランス良く保って、生きている。生かされている。僕は勉強が嫌いで、うちの娘にも体に悪いから勉強はするなって、親の教えを受け継いだんですが、すごく助かったなぁと思ったのは、僕が教えなくても畑やなんかで学んだことが、非常に今いきている。それは、子どもだけじゃなく、突然親になった僕らも子どもを育てるうえで、農地が教えてくれた。だから「ごはんを食べよう」って、どのように流通させて行くかっていうのも大事だと思うけれど、どうやって、食べる側が、お米である、野菜である、漁業であるとかということに興味を持って買ってもらうってことが非常に大事になってきますし、そこには宝の山がたくさんあるだと思うんですね。それを探し出すことで、変わっていくんじゃないかなと思います。宝の山を知っている人は、70代、80代の農家の方達です。この知恵をどうやって活かしていくかで、僕は農産物やなんかの売れ方や何かってのは、変わっていくんじゃないかなと今までの体験で思います。

私事になりますけれども、うちの娘、本当に僕に似てあんまり勉強できないし、あんまり勉強もしなかったですが、ある日突然、AO入試をしたいって、入試締め切りの2週間前に言って。AO入試を受けるにも塾に行かなくてはいけなのに。でも大学受かったんです。何をしゃべったのって聞いたら、秋田で農業体験を論文に書いて、女なのにふんどしをつけて、子どものころに見たなまはげを即興でやって。それで大学受かったんです。これは、とっても、助かったなぁって思いました。実際、僕も含めて、秋田に育ててもらった。改めて育ててもらった。そこにやはり、これからの物が売れていく秘密があるのかなと思います。

それとよく思うことは、今、お米の年間消費量は、60kg切っている。さっき見たら、59.何kg。昭和30年120kgぐらい食べていたのに。主菜が増えてきて、パンがあって、パスタがあって、うどんがあって、そばがあって、というような状況では、昔みたいな消費量は難しいと思う。そこで、僕は、ごはんを副菜と考えてもいいのかなと思うんです。フランスパンのように。簡単に言えば、小さな手巻き寿司ですよ。うちは良くやるんです。僕も女房も酒飲むんですね。ごはんを食べると、お酒が飲めないんで、酒を飲むためにどうしたらいいかっていって、のりを8分の1枚を4分の1枚に切って、そこにごはんを少し乗せて、色んなおかずをのせながら食べる。ごはんの量はそんなに食べないけれども、ごはんってやっぱり、色んな物にあうから、お刺身にもあうし、ステーキにもあうし、色んなものにあうから。知らず知らずのうちに食べているんです。僕は、自分が酒飲みだから思うんですが、酒飲み相手にごはんを主食だと言っても難しい。酒飲みはたいてい意地汚いから、酒がまずくなるんだったら、ご飯を食べない人は多いと思うんですね。そうではなく、これを副菜として、どのようにメニューを考えていくか。飲食業やなんかに、それが一番多い。飲食業とかでもお米って言うのが出てくると思うんですよね。みんな主食主食って考えるけれど、主食じゃなく、副菜や何かにお米を考えていく。
お米を副菜としてどうやって利用していくかということが、お米をこれからまた伸ばしていくチャンスになるんじゃないかなと思っております。

文責:ごはんを食べよう国民運動推進協議会事務局

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